ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年1月23日 – 1999年1月31日)は、日本のプロレスラー、プロ野球選手、テレビタレント、三条市名誉市民。
ジャイアント馬場 – ウィキペディア
「ジャイアント馬場還暦宣言・特別試合」
1998年1月23日 – 後楽園ホールメインイベント。
同日60歳の誕生日を迎えたことを記念しての「ジャイアント馬場還暦宣言・特別試合」。
三沢光晴、マウナケア・モスマンと組み、小橋健太、川田利明、渕正信組と対戦。得意技のランニング・ネックブリーカー・ドロップで渕からフォールを奪い、現役レスラーとしての健在ぶりをアピールした。試合後のインタビューにて徳光和夫が差し出すマイクを前に「子どもの頃は60歳といったらずいぶん年寄りだなとも思ったが、自分がなってみたら『何だまだやれるじゃないか』と思ってね」と答える。
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「ジャイアント馬場 引退記念試合」
死後
1999年4月17日、前日(4月16日)に開催された’99 チャンピオン・カーニバル最終戦のリングが設定されたまま、日本武道館でファン葬が催され、2万8,000人が参列した。 同年5月2日、全日本二度目の東京ドーム興行において「引退記念試合」と銘打ったセレモニーを行った。
ハンセンを先導にかつてのライバルや盟友が登場。ジャイアント馬場、ザ・デストロイヤー組対ブルーノ・サンマルチノ、ジン・キニスキー組の時間無制限一本勝負というマッチメイクで、PWF会長のロード・ブレアースが立会人、ジョー樋口が特別レフェリーをそれぞれ務めた。
仲田龍がリングアナウンサーとして、涙声で馬場への最後のコールを行うなど、セレモニーはあくまでも「試合」として扱われた。
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